態度が悪くてすみません

神戸女学院大学内田樹教授の本。人と違う視点から物事を語れる人は、いつも私の琴線に触れる。
例えば「シャイネスの復権」という章では、自己主張のできる人間がとにかく良しとされていることについて次のように述べている。

だから、知的であればあるほど、人間は自説が「誤っている可能性」の吟味に時間をかけるはずである。しかし、私たちの社会は、「異論に黙り込む人間」よりも「異論をはねつけてきっぱりと断言する人間」が高い評価を得る傾向にある。

最近は分かりにくい表現に対しては厳しい時代である。例えば、山田ズーニー氏は、

「表現されない自己は無に等しい。」そんな言葉を聞いた。そんな時代に自分は生きている。

というようなことを著作で書いている。

あなたの話はなぜ「通じない」のか

あなたの話はなぜ「通じない」のか

「表現されない」と言うよりも「表現されているんだけど分かりにくい、伝わりにくい」と言った方が私は正確だと思う。黙っていることも一つの表現のはずである。だから表現力を高めましょう、きっぱり自己主張しましょう、という話に繋がっていく。それはそれで理解できる。

しかしそうやって、一方的に分かりやすい表現力ばかりを高めていくとどうなるかというと、小泉首相のような分かりやすい人たちが世に溢れ、我々は感受性を働かせる必要がなくなって、ますます分かりやすい表現を求めるようになってしまう。

そんな恐ろしい未来の到来に気づいてしまった内田先生の感受性はやはりすごい。