注意深いということ

何となく、「注意深い」という言葉が頭のかたすみに引っかかっていて、こんな文章を書き始めた次第です。

自分でじっくり時間をかけて書いた文章を後で読み返して、とんでもなくひどい間違いを見つけることがあり、そんなとき、自分は思ったより注意深くない人間なのだなと思います。私に限らず、どうも注意深くない人たちが増えているような気がしてなりません。例えば、テレビを見ていても誤字を見ない日はほとんどないように思います。

注意深くない人たちが増えているとして、どうしてそうなっているかを考えてみると、注意力が必要なくなってきているからだと思うのです。現代は分かりやすさ重視の時代です。テレビ番組ではテロップが多用され、本では重要なキーワードが太字で表記され、Wordでは英単語のつづりの間違いが指摘され、選挙では郵政民営化の賛成反対のみが強調され、、、、などと例を挙げていくと枚挙にいとまがありません。

最近読んだ次の2冊の本は、意識して注意深くなることの重要性を教えてくれます。

本の読み方 スロー・リーディングの実践 (PHP新書)

本の読み方 スロー・リーディングの実践 (PHP新書)

アンチ速読派である平野啓一郎氏が推奨するのは遅読です。読書をしていて何か違和感を感じたら、ページをめくるのを止め、その違和感の原因をゆっくりと注意深く吟味する。そこには、きっと作者のしかけや工夫があるはずである。速読家の知識はただの「贅肉」であり、

それよりも、ほんの少量でも、自分が本当においしいと感じた料理の味を、豊かに語れる人のほうが、人からは食通として尊敬されるだろう。

だから1冊の本をゆっくり味わって読みましょう、というのが作者の主張です。

第1感 「最初の2秒」の「なんとなく」が正しい

第1感 「最初の2秒」の「なんとなく」が正しい

「第1感」は、注意深さとは対極にある直感や第1印象を礼賛する本のように見えますが実際にはそうではありません。多くの部分で、人間の直感がいかに危ういものかが説明されています。例えば、第3章で紹介される米国の自動車のトップセールスマンは客を見た目で判断することは絶対にしないと言います。そして、客をもっとよく見るのだと。彼の成功は、第1印象が他の重要な情報に影響を与えることを防ぎ、注意深く観察した結果に基づいてのみ客と接したことにあるわけです。

そういうわけでありまして、注意深く読み、注意深く書き、注意深く聞き、注意深く見る、ということを意識してみようかなと思ったのでした。

最後に、近ごろ話題の村上春樹の小説から印象に残ったセリフを引用してこの話を注意深く締めたいと思います。

スプートニクの恋人 (講談社文庫)

スプートニクの恋人 (講談社文庫)

うまいとか下手とか、器用だとか器用じゃないとか、そんなのはたいして重要じゃないのよ。わたしはそう思うわ。注意深くなる―それが一番大事なことよ。心を落ちつけて、いろんなものごとに注意深く耳を澄ませること

ちなみにこの文章は、あまり注意深く読まれると穴がたくさん見つかるので、ほろ酔い(ビールジョッキ一杯程度)で流し読みぐらいでお願いしますorz