マセソンの謎

グレンモーレンジ

私が好んで飲むウィスキーにグレンモーレンジというのがある。スコットランドでは最も飲まれているシングルモルトウイスキーだ。

ウィリアム・マセソン(1805-1862)が、このグレンモーレンジの蒸留所を創業したのは、今から164年前、1843年のことである。私の愛してやまぬウィスキーを創ったのはどんな人だろうかと思ってネットで調べ物をしたが、結論から言うとよく分からなかった。グレンモーレンジ社のウェブでも、ほとんど知られていないと書いてあった。

スコットランドでマセソンと言えば、現在も続く老舗商社であるジャーディン・マセソン商会を思い出す。ジャーディン・マセソン商会は1832年東インド会社で船医をしていたウィリアム・ジャーディンと、彼と同郷の友人だったジェームス・マセソンによって、中国の広州に設立された。アヘンの密輸で大儲けしたらしい。ちなみに、2人の名前を足して割るとウィリアム・マセソンになってくれるのだが。

ところで、このジャーディン・マセソン商会はシングルモルトとの関わりも深い。ジェームス・マセソンの従兄弟だったアレクサンダー・マセソンはダルモア蒸留所の創業者である。また、つい最近までジャーディン・ワインズ&スピリッツという酒類販売専門の合弁会社があったのだが、ジャーディンは合弁から離脱し、現在はMHDディアジオ・モエ・ヘネシーというLVMH(モエ・ヘネシールイ・ヴィトン)の洋酒販売部門となっている。

ウィリアム・マセソンとジャーディン・マセソン商会との関係を疑った私は、とあるページに辿りつく。そこで意外な日本人の名前を見つけることになる。

幕末期にイギリスに密航し、ロンドン大学に留学した伊藤博文井上馨ら、いわゆる長州五傑である。ロンドン大学ではChoshu Fiveと称されているらしい。若干ネーミングがダサいのが気になるがここでは置いておく。

話がそれた。彼ら5人はジャーディン・マセソンの船でイギリスに出航した。グラバー商会のトーマス・グラバーが仲介役をしたと言われている。ちなみにグラバー商会はジャーディン・マセソン商会の長崎支店だった。そして、彼らを迎えたのはジェームス・マセソンの甥であったヒュー・マセソンだった。さらに彼らを、ロンドン大学の化学者だったアレクサンダー・ウィリアム・ウィリアムソン(ややこしいったらありゃしない)に紹介したのが、なんとウィリアム・マセソンらしいのだ!

やはり、グレンモーレンジの創業者であるウィリアム・マセソンはジャーディン・マセソンと関係があったのか。と、納得しかけたところで疑問を感じた。よく分かってないはずのことが、こんなに簡単に分かってしまってよいものか。

やはり杞憂には終わらず。長州五傑がロンドンに渡航したのは1863年。ウィリアム・マセソンが亡くなったのが1862年。アリバイ成立である。

土曜の夜は気が抜ける。今夜も私はグレンモーレンジを手放せませそん*1

*1:こんなまとめですいませそん