棋風と作風
棋風という言葉がある。またしても将棋の話。将棋を指すときのスタイルのことである。
現在実施中の「冬のうだつよ上がれ」フェアの一環で先日、羽生善治九段の著作を読み、不貞寝をしてしまったことを書き留めたばかりである。羽生王将は現在行なわれている王将戦を連勝し、さらにうだつを上げようとしている。
ところが、その羽生九段よりも若い21歳にして将棋界の最高位である名人位についたという棋士がいるという。このままでは私のうだつは覚束ぬ。今度こそ不貞寝をしないと心に誓い、谷川浩司九段の著作「集中力」を手に取った。
昔の棋士には「なになに流」と呼ばれる棋風があったという。棋風にはその人の生き方があらわれる。例えば、攻めを重視する谷川九段は「前進流」などと呼ばれている。他にも中原誠九段の「自然流」、米長邦雄先生の「泥沼流」などが有名である。未確認のものとしては、いきなり将棋盤をひっくり返す「星一徹流」、口から駒を溢れさせ相手を困惑させる「ふじいあきら流」、途中で気絶する「あるある探検隊流」、靴下を履かない「石田純一流」などがある。それはどうでもいいが、著書の中で羽生九段に関して、
棋風のない、オールラウンドプレーヤーで変幻自在のため、どう指してくるのかがわからない。(中略)こだわりとかがまったくないのが特色である。
と述べている。これに対し、羽生九段本人は自分の著書「決断力」の中で、
大切なのは、自分らしさを持っているかだ。「一つにこだわらない」というのが、私にとってのスタイルだ。
と反論している。
これは将棋に限った話ではなく、映画、楽曲、絵画、小説、料理、論文など人間の関わる全てのものに、作者のスタイル、こだわり、生き方、人生観が埋め込まれている。最近、とんでもない作風の本を読んだ。リディア・デイビスの「ほとんど記憶のない女」である。短編集であるが、エッセイあり、紀行文のようなものあり、3行で終わるものもあれば、数十ページある小説まで、雑然、混沌の限りを尽くしている。だから駄目かというと、そんなことはなく、その言葉のリズムはたまらなく魅力的なのである。例えばこんな感じである。
私をからかうこのひょうきんな男と、真剣にお金の話をするあまり私が見えなくなるあの真面目な男と、困ったときに相談に乗ってくれるあの辛抱強い男と、乱暴にドアを閉めて家を出て行くあの怒りっぽい男は、みんな同じ一人の人間である、という事実を私はなんとか理解しようと努力している。
彼女は自分の考えていることや書いていることを、外から他人事のように眺め、自分の困惑を楽しんでいるような、そんなスタイルなのである。
スタイル。なんと美しい響きだろうか。人間は毎日スタイルのことを考えて生きればよいのではないか。よし、まずは自分のスタイルとこだわりを確認するぞと意気込んで、これまで書いた日記を眺めたのだが、ウイスキーと珈琲にしかこだわりを発見できず、雪景色に心奪われてまた不貞寝。
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