どこに光を当てるか

先日、本屋大賞なるものが発表されたが、どうも腑に落ちない。ベスト10に並んでいる本は、どこの本屋でも目立つところに置かれるような本ばかり*1。これらは、著名作家の本が多く、我々が手にとって目にするチャンスの多い本であり、読書好きとしては、もっと売れていないけど内容の良い本を紹介してほしい。
http://www.hontai.jp/

「読書家<狐>の読書遺産」は、昨年8月に亡くなった山村修氏が同じ年の7月まで連載していた書評をまとめたもの。
紹介される本は、一部を除けば目にしたことも耳にしたことも無い本ばかりである。中には、「婦人家庭百科事典」、「キケロー弁論集」等もあるが、氏の書評を読んでいると、何となく読んでみようかなという気になってしまう。小説ばかりが本ではない。

例えば、宮地佐一郎の「龍馬の手紙」では冒頭から、

坂本龍馬が、こんなに心踊りのする手紙を書いていたとは。明るくて、笑があって、ときには冷やかしもあって、励ましもあって、エヘンと自慢することもあって、つまりは何とも清新な、みずみずしい手紙文を、しかもこんなにたくさん書いていたとは。

と、その新鮮な驚きと感心をストレートに伝える。

斉藤茂吉の「念珠集」では、茂吉が少年時代、友達と腕に漆で男性器の落書きをして遊んでいたら、自分だけそこが赤くただれてしまって、恐る恐る親に見せたら、親がその赤く腫れた形を見て大笑いしたという文章をとりあげる。そして、この文には茂吉の人生の時間だけでなく、その読者の人生の時間もあるという。

私や、ほかのだれかれが、子どものころ茂吉とおなじような体験をしたという意味ではない。茂吉の散文のわざによって、郷里での茂吉個人のささやかなできごとが、はるかな思いを喚起しながら、読み手のものにもなってそれぞれの胸のうちに沈むのである。

これを読むと、氏がとりあげた文章を読んで、氏と同じような感覚を受ける自分の姿が思い浮かぶ。

出色の書評集。

書評家〈狐〉の読書遺産 (文春新書)

書評家〈狐〉の読書遺産 (文春新書)

とある大臣が松坂のニュースばかりやるなとNHKに怒ったらしい。野茂のときは確かに興奮して毎日でもニュースを見たかったが、慣れもあってか、個人的には松坂報道には多少辟易している。日本人選手の活躍は確かに嬉しいし、もちろん同世代なので応援しているけれど、何となく野茂の最初の頃の方が凄かったと思うのは私だけだろうか。

日本人選手の話題もさることながら、ニッポンは美しいとかニッポン賛美がどうも多過ぎる気がする。そういうのは余所の国から言ってもらって、「えへ、そうすかねぇ」と照れるくらいの方が粋ではないか。無論、日本に独特のものがあるのは間違いないし、いいものもある。それは他の国とて同じこと。

「千年、働いてきました」は、日本にどうして老舗企業が多いのかを、19社への取材を通して考察したもの。
著者は、その理由の1つとして血縁にこだわらなかったことを挙げる。企業は必ず時代の変化に晒されるが、老舗と呼ばれる企業は、そのとき自分の会社の持つ技術、人間などのリソースをどのように新しい時代に合わせて生かしていくかを考え、思い切った決断を行ってきた企業である。そのような思い切った決断ができるのは、創業者ではなくて外から来た人であろう、という著者の説は、血縁重視の中国に老舗企業が育っていないということを考えると、説得力がある。
それにしても、初めて知ったが日本にはいろんな老舗企業がある。この本に出ている企業は、毎朝ニュースで報じられると困るが、もう少しスポットライトを浴びてもいい。

*1:ベスト10にノミネートされたからかもしれない。いや、むしろそう。